タクシーの事故と自己負担|結論
この記事の結論
タクシーで事故を起こしても、「事故1回につき○万円」と決めておく約束は労働基準法16条で禁止され、労使協定なしに修理代を給与から差し引くことも24条で認められていません。
一方で、運転者の責任で実際に生じた損害について会社が賠償を求めること自体は禁じられていません。ただし最高裁(昭和51年7月8日判決)は、使用者が運転者に請求できるのは「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」に限られるとし、保険に入っていなかった会社の請求を損害の4分の1までに制限しました。
タクシー会社には国土交通省の告示で、対人1人8,000万円以上・対物1事故200万円以上の任意保険(または共済)への加入が義務づけられています。ただし告示が求める対物補償は「当該事業用自動車を除く」とされ、自社の車両の修理代は対象外です。この部分を誰がどう負担するかは会社ごとに違うため、就業規則と面接で確かめる必要があります。
タクシーの求人を見ていると「事故の自己負担なし」と書く会社もあれば、何も書いていない会社もあります。運転を仕事にする以上、事故の可能性はゼロにはなりません。応募する前に、事故が起きたときのお金の流れと、法律で決まっている線引きを知っておくと安心です。
この記事では、労働基準法・民法・自動車損害賠償保障法・旅客自動車運送事業運輸規則などの条文(e-Gov法令検索)、最高裁判所の判決文、厚生労働省・労働局と国土交通省の公表資料だけを使って整理します。個別の会社の事例や口コミは扱いません。具体的な事案の判断は、最後に紹介する相談窓口で確認してください。
事故の損害は誰が払うのか|保険と使用者責任の基本
タクシーの事故で生じる損害は、大きく「相手方(歩行者や他の車)への賠償」と「自社の車両の修理代など会社自身の損害」に分かれます。法律と国土交通省の告示は、前者について会社が責任を負い、保険で備えることを求めています。
| 損害の種類 | 根拠 | 決まっていること |
|---|---|---|
| 相手方のけが・死亡(対人) | 自動車損害賠償保障法3条・5条 | 運行供用者が賠償責任を負い、自賠責保険(または共済)に入っていない車は運行できない。自賠責の保険金額は死亡1人3,000万円(同法施行令2条) |
| 対人・対物の上乗せ(任意保険) | 旅客自動車運送事業運輸規則19条の2、平成17年国土交通省告示第503号 | 対人は1人につき8,000万円以上、対物は1事故につき200万円以上を限度額とする損害賠償責任保険か共済に、全車両分加入。財産に対する免責額は30万円以下 |
| 業務中の事故で相手に与えた損害全般 | 民法715条(使用者責任) | 事業のために人を使う者は、被用者が事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし使用者から被用者への求償は妨げられない(同条3項) |
| 運転者自身のけが | 労働者災害補償保険(厚生労働省) | 業務中の事故によるけがは業務災害として労災保険の給付対象になり得る |
| 自社の車両の修理代 | 上の告示の対象外(「当該事業用自動車を除く」) | 加入義務の定めはなく、車両保険に入るかどうかは会社の判断 |
まず押さえたいのは、相手方への賠償は会社が責任を負い、そのための保険加入も会社の義務だという点です。運転者が個人で相手方に賠償する仕組みにはなっていません。
国交省の告示が保険に求める条件
平成17年国土交通省告示第503号は平成25年10月31日に改正され、貸切バスの対人補償は「無制限」に引き上げられましたが、タクシー(一般乗用旅客自動車運送事業者)の対人補償は改正後も「八千万円以上」のままです。告示は任意保険の契約について、対人・対物の限度額のほか、「旅客自動車運送事業者の法令違反が原因の事故について補償が免責となっていないこと」「保険期間中の保険金支払額に制限がないこと」「事業用自動車の台数に応じて契約を締結する場合にあっては、すべての事業用自動車の台数分の契約を締結すること」「賠償額に対する一定割合の負担額その他の負担額のないものであること」を求めています。国土交通省は告示の制定時、未加入の事業者が残っていたことを背景に、加入義務を明確にすると説明していました。
注目したいのは、対物補償の対象が「旅客その他の者の財産(当該事業用自動車を除く。)」とされている点です。つまり、告示で備えが義務づけられているのは相手方の財産で、自社のタクシー車両の損害は含まれていません。事故の「自己負担」が問題になるのは、主にこの部分と、保険の免責額の部分です。
労働基準法のルール|16条・24条・91条
会社が運転者にお金を負担させる場面では、労働基準法の3つの条文が関わります。条文はe-Gov法令検索の現行法令から引用しています。
| 条文 | 内容 | 事故の場面での意味 |
|---|---|---|
| 16条(賠償予定の禁止) | 「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」 | 「事故を起こしたら1回○万円」「物損は一律○円」のように、あらかじめ金額を決めておく約束は禁止 |
| 24条(賃金の支払) | 賃金は通貨で、直接労働者に、その全額を支払う。一部を控除できるのは、法令に別段の定めがある場合か、過半数労働組合(ない場合は過半数代表者)との書面による協定がある場合 | 協定がないまま修理代や免責額を給与から差し引くことはできない |
| 91条(制裁規定の制限) | 減給の制裁は、1回の額が平均賃金の1日分の半額、総額が1賃金支払期の賃金総額の10分の1を超えてはならない | 事故を理由とする「減給の制裁」を就業規則で定める場合も、この上限を超えられない |
栃木労働局は16条について、「あらかじめ金額を決めておくことは禁止されていますが、現実に労働者の責任により発生した損害について賠償を請求することまでを禁じたものではありません」と説明し、禁止される例として「会社に損害を与えたら○○円払え」という定めを挙げています。つまり、実際の損害について話し合いで賠償を求めること自体は違法ではなく、問題は「金額の決め打ち」と「一方的な天引き」です。
就業規則に書かれているかを確認する
労働基準法89条は、常時10人以上の労働者を使う会社に就業規則の作成と届出を義務づけ、「労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合」(5号)や「表彰及び制裁の定めをする場合」(9号)は、その内容を就業規則に書くよう求めています。事故時の負担や制裁を設けている会社なら、就業規則に記載があるはずです。入社前に就業規則の該当部分を見せてもらえるか、面接で確認してください。
タクシー運転手の求人をチェック
求人一覧を見る会社が運転者に請求できる範囲|最高裁昭和51年7月8日判決
会社が実際の損害について運転者に賠償を求める場合、どこまで認められるかを示した最高裁判所の判決があります(最高裁判所第一小法廷 昭和51年7月8日判決、昭和49年(オ)第1073号、民集30巻7号689頁)。
判決は、使用者が被用者の加害行為で損害を受けた場合でも、「その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において」しか、被用者に賠償・求償を請求できないとしました。
この事件は石油などの輸送会社のタンクローリーの追突事故で、会社は経費節減のため車両を対人賠償責任保険にのみ加入させ、対物賠償責任保険と車両保険には入っていませんでした。最高裁は、運転者の過失(車間距離不保持・前方注視不十分)を認めながらも、会社が請求できるのは損害額の4分の1が限度だとした原審の判断を正当としています。
タクシー会社の事案そのものではありませんが、業務で車を運転する人が起こした事故の損害を、会社と運転者でどう分けるかの基本的な考え方として、判決文が裁判所の裁判例検索で公開されています。保険などで損失を分散する配慮をしていたかどうかが、考慮される事情の一つに挙げられている点がポイントです。
国の議論|「運転者負担」と累進歩合の廃止
タクシー業界では、設備の使用料や事故の修理代などを運転者が負担する仕組みが「運転者負担」と呼ばれ、国の場でも取り上げられてきました。国土交通省が設置した「タクシー事業における賃金システム等に関する懇談会」(平成21年3月30日設置)では、平成22年2月4日の第4回で「賃金における負担の問題」が議題になり、労働組合側・事業者団体側の双方が資料を提出しています。
同懇談会の議論の結果は「とりまとめられていない」とされていますが、国土交通省が公表した議論の整理では、「運転者負担については、設備投資費用として事業者が負担すべき費目も含まれているかを含め、その実態を明らかにするとともに、適切に改善、運営されることが望ましい」と記されています。
事故との関係では、厚生労働省が賃金制度について「累進歩合制度」の廃止を求めている点も押さえておきたいところです。厚生労働省のパンフレット「タクシー・ハイヤー運転者の労働時間等の改善基準のポイント」は、累進歩合制度について「自動車運転者の長時間労働やスピード違反を極端に誘発するおそれがあり、交通事故の発生も懸念されることから、廃止しなければなりません」としています。歩合給の場合は、通常の賃金の6割以上の保障給を定めることも求められています。給与制度の詳細はタクシーの給与保証の仕組みで解説しています。
事故のあとに会社がすること|記録・報告・特別な指導
お金の負担とは別に、事故が起きると会社には国土交通省の省令で決められた対応があります。運転者として知っておくと、事故後の流れが見通せます。
| 対応 | 根拠 | 内容 |
|---|---|---|
| 事故の記録 | 旅客自動車運送事業運輸規則26条の2 | 乗務員の氏名、車両、日時、場所、相手方、事故の概要(損害の程度を含む)、原因、再発防止対策を記録し、営業所で3年間保存 |
| 国への報告 | 自動車事故報告規則2条・3条 | 死者または重傷者が出た事故、10人以上の負傷者が出た事故、酒気帯び運転を伴う事故、運転者の疾病で運転を続けられなくなった事故などは、30日以内に運輸支局などを経由して国土交通大臣に報告 |
| 特別な指導と適性診断 | 同運輸規則38条2項 | 死者または一定の負傷者が生じた事故を起こした運転者には、特別な指導を行い、国土交通大臣が認定した適性診断を受けさせる |
事故件数の推移など、統計で見た事故のリスクはタクシー運転手はきつい?統計で見る実態にまとめています。事故を防ぐ仕組みとしての点呼はタクシーの点呼とアルコールチェック、体調が原因の事故についてはタクシーの健康診断と健康起因事故で解説しています。
求人票・面接で確認したいことと相談先
事故時の負担のルールは、求人票に書かれていないことが多い項目です。応募前や面接で、次の点を確認しておくと入社後のずれを防げます。
- 任意保険と車両保険:対人・対物の保険に加え、自社の車両の損害に備える保険や共済に入っているか。
- 免責額の扱い:保険の免責額(告示では財産について30万円以下)が出たとき、誰が負担するか。
- 就業規則の記載:事故時の負担や制裁の定めがあるか(労基法89条5号・9号)。あるなら金額の決め方。
- 賃金からの控除:労使協定で控除している項目は何か。事故の損害が含まれているか。
- 事故後の乗務:特別な指導や適性診断を受ける間の勤務と賃金の扱い。
事故のあとに一方的な天引きや一律の負担金を求められた、納得できない額を請求された、という場合は、各都道府県労働局や労働基準監督署内にある厚生労働省の「総合労働相談コーナー」に無料で相談できます。賃金の未払いにあたるかどうかは、労働基準監督署が判断する事項です。
事故時の対応が整った会社を探すときは、タクシードライバー求人や法人タクシーの求人から募集要項を比べてください。入社前の確認項目をまとめたタクシードライバー転職の失敗パターンもあわせて参考になります。
出典・一次情報
本記事の制度と判決の内容は、次の公表資料に基づいています(いずれも2026年10月閲覧)。
- e-Gov法令検索「労働基準法」(16条・24条・89条・91条) laws.e-gov.go.jp
- e-Gov法令検索「民法」(715条)laws.e-gov.go.jp/「自動車損害賠償保障法」(3条・5条)laws.e-gov.go.jp/「自動車損害賠償保障法施行令」(2条)laws.e-gov.go.jp
- e-Gov法令検索「旅客自動車運送事業運輸規則」(19条の2・26条の2・38条)laws.e-gov.go.jp/「自動車事故報告規則」(2条・3条)laws.e-gov.go.jp
- 国土交通省告示第503号「旅客自動車運送事業者が事業用自動車の運行により生じた旅客その他の者の生命、身体又は財産の損害を賠償するために講じておくべき措置の基準を定める告示」(平成17年4月28日) mlit.go.jp(PDF)/国土交通省「すべての貸切バス事業者の皆様へ」(平成25年10月31日公布の告示改正の内容) mlit.go.jp(PDF)/国土交通省「旅客自動車運送事業者の任意保険等への加入に関するパブリックコメントの募集」(平成17年3月23日) mlit.go.jp
- 最高裁判所第一小法廷 昭和51年7月8日判決(昭和49(オ)1073 損害賠償請求事件) 裁判所 裁判例検索
- 栃木労働局「賠償予定の禁止(第16条)」 jsite.mhlw.go.jp
- 厚生労働省「タクシー・ハイヤー運転者の労働時間等の改善基準のポイント」パンフレット mhlw.go.jp(PDF)/厚生労働省「総合労働相談コーナーのご案内」 mhlw.go.jp/厚生労働省「労災補償」 mhlw.go.jp
- 国土交通省「『タクシー事業における賃金システム等に関する懇談会』での議論について」 mlit.go.jp(PDF)/同懇談会 第4回(平成22年2月4日)議事次第・配付資料 mlit.go.jp(PDF)
この記事の位置づけ
本記事は法令と公的機関の公表内容を整理したもので、個別の事案についての法的な判断を示すものではありません。実際に負担を求められた場合は、総合労働相談コーナーや労働基準監督署、弁護士などの専門家に相談してください。



